0.予備試験論文式試験の一般教養科目

以前予備試験短答式試験の一般教養科目の解き方についての記事をあげた際に、思った以上の反響がありました。
(記事はこちらから http://abc-sakana.com/archives/21774199.html)
具体的には、その内容いかんというよりは、一般教養科目への対策をすることが可能ということ自体への感想を多く見かけたように思います。



同じことは、論文式試験における一般教養科目についても妥当すると考えます。
多くの予備校は基礎講座としては一般教養の講座を用意していません。
また、一般教養は2021年の試験を最後に廃止されることが決定しており(参照:https://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/13/1413769_01_1.pdf)、今後も対策する講座が出されることは考えづらいでしょう。
そのようなことから、どんなに対策をしている人でも過去問の解説講座や答練の受講に止まり、具体的な方法論を煮詰めている人はほとんどいないのが現状です。



そこで、同じく対策が手薄になりがちな論文式試験の一般教養科目についての考察を書くことにしました。
私自身は、予備試験本番でA評価を得たことのほか、日頃の答練でも40点前後を取ることが多く、一般教養を得意としていました。
具体的な方法論について煮詰めたわけではありませんが、それでも相対的に上位が取れていたことから、その理由について考えた点を述べています。
具体的には、判例を読むように読み、射程問題を解くように書くことで、まずまずな答案が完成することについて指摘しています。
一受験生の粗雑な方法論に過ぎませんが、対策の一助に、またそもそもごく簡単な対策が可能なことに思い至るようになる助けになれば幸いです。



なお、限定的な範囲の単発の知識をインプットする講座を除くと、方法論に関する対策講座があまり存在しない短答式試験とは異なり、論文式試験の一般教養科目については方法論の講座や解説が存在しています。
この記事を読んだのちに、わずかでも時間を割いて対策することにしたのならば(それが望ましいかはさておき)、そのような講座を受講することもありえると思います。
参考のリンクは最後にいくつか載せておきます。




1.予備試験論文の一般教養科目の概要

予備試験論文式試験は、500点満点の試験で、合格最低点は4割強です(直近3年間は245点→240点→230点と推移)。
一般教養科目は、そのうちの50点分を占めています。



一般教養科目は、いわゆる大学入試の小論文のような形式を取ります。
課題文が与えられて、それにまつわる設問を解いていくものです。
他の科目と異なり、直接的には法律に関する知識を問われることはありません。
具体的な問題の分類はのちに詳述しますが、課題文中の考えに関する説明、課題文の要約、意見論述の3つに分かれます。
課題文は著作権の関係上公表されていない年度も多くありますが、設問についてはホームページから参照することができます(参照 令和元年予備試験論文式試験 一般教養科目)。


このように、事前に論証パターンと言われるような書く内容を一定程度用意しておくのとは異なり、その場で書く内容を考えて、論述をすることとなります。
そのような特質を捉えて、「対策をする必要はない」というような主張をよく見ます。



たしかに他の科目に費やすような長時間の対策をする必要がないという点には同意します。
しかし、他の法律科目に対して圧倒的な長い時間の対策をしておきながら、他の科目と同一の配点を有する一般教養科目についてはなんらの対策もせずに博打を打つというのが、合理的な判断かはなんともいえないところです。


たとえば、令和元年における論文式試験の合格最低点は230点です。
仮に一般教養で他の平均的な受験生より10点劣るとした場合、他科目で10点分カバーをしなくてはならないことから、240点を取る人と同様の法律科目の得点が必要となります。
240点を取った場合は350位ほどとなるため、本来の合格者が500人程度であることと比較すると門がいくぶん狭くなってしまったことがわかるでしょう。
10点下がるというのは、たとえばC評価上位からF評価上位(2600人中700位→1500位程度)まで落とす程度の差で生じる点差です(参照:ロボたいしょう様 司法試験予備試験の順位ランクと推定される点数について http://sitake.seesaa.net/article/470956709.html
現実的に起こりうる下落であり、合否にもある程度絡むことが伝わるでしょうか。


なお、実際には一般教養でF評価(1500位以下)で論文試験に合格している人も一定程度存在します。
法律科目で実力をつけるという勉強の方向性は、完全に正しいものです。
ただ、その事実をもって一般教養で問われる能力が予備試験合格と関係がないものと早合点するのは誤りではないか、というのが今回の趣旨です。
後述の通り、一般教養で問われる能力は法律科目で問われる能力と大きく異なるものではないため、そのような人たちもある程度対策ないし意識をすれば余裕のある点数を獲得していたのではないかと考えています。



2.試験の意義

そもそもなぜ論文式試験に一般教養科目が存在するのでしょうか。
予備試験が実施される際のヒアリングには、以下のような記述があります。

予備試験で評価・判定すべき能力は,司法試験法第5条 第1項で,法科大学院の課程を修了した者と同等の学識等と定められていること,法科大学院に入学するためには,大学卒業又はそれと同等の学力を有することが要件と なっていること,大学では一般教養科目は存在するが,法科大学院では典型的な一般教養科目,それに特化したものは教えていないこと,これらを考慮すると,大学卒業程度の一般教養というものを基本とすべきではないかということになった。 (有識者に対するヒアリング 抜粋)

このように、大学卒業程度の学力の証明のために一般教養科目を設置したとしています。
またヒアリングでは触れられていませんが、沿革としては、旧司法試験の論文試験に一般教養科目が存在したことと対応していることが挙げられるでしょう(参照 日本弁護士連合会声明)。


そして、ヒアリングでは求められる具体的な能力の内容についても言及しています。

大学卒業程度の一般教養のレベルを基本としながら, 知識だけを問うようなことになってはいけない,思考力・分析力・表現力等も判定できなければいけない,法科大学院の教育も踏まえなければいけない,という趣旨を盛り込むこととしたものである。(有識者に対するヒアリング 抜粋)

このように、具体的な知識を問うことではなく、思考力・分析力・表現力を問うことを目的の試験であることが明記されています。
法律科目で求められるような具体的な知識から離れて、そのような能力を問う点に、その具体的な意義があるといえます。


そのことに対応して、解答に際しても、そのような能力を有していることを示す論述を意識することになります。


3.出題形式と大まかな解答方針

毎年、一般教養科目には設問が2題出されます。
その内容はまちまちですが、おおむね次の3種類に分類ができます。
以下、年度と設問をR1①(令和元年 設問1を指す)のように示します。

・課題文への言及を求めるパターン(H30①、H28①・②、H26①・②)
課題文で与えられた概念についての説明や、それにまつわる説明を行うものです。
特定のキーワードに関連した説明や論述を求められることが多く、課題文から読み取った内容を解答に反映していくことになります。
年度によっては、自分で考えた具体例を付加することが求められることになります。
筆者は,本文中で,社会正義の実現のための手段として,「再配分」と「承認」の2つを挙げている。それぞれの特徴について,具体例を挙げつつ,15行程度で述べなさい。(H30①)


・課題文の要約を求めるパターン(R1①、H29①、H27①、H25①、H24①、H23①)
課題文の要約を行うものです。
課題文の全体かあるキーワードについてかはさておき、その論旨を論述することになります。
出題がなされた場合には必ず設問2で意見論述の問題となっていることから、意見論述の前提となっています。
本文における著者の主張を,10行程度でまとめなさい。(R1①)

・意見論述を求めるパターン(R1②、H30②、H29②、H27②、H25②、H24②、H23②)
課題文の内容に対して、自由な立場で、または設問が求める立場からの意見論述を行うものです。
多くは要約や記述をした設問1の内容に関連して、場面を変えた場合に受験生がどのように考えるかの記述を求めるもので、設問1での正確な読解を前提とする点に特徴があります。

20 世紀末の社会主義体制の瓦解後,市場機構は,名実ともに世界経済の中心的・主導的な機構となった。その一方で,それが,各種の社会問題の温床となっているとの批判もある。これに関連して,経済社会の在り方をめぐって,以下の2つの理論的立場が想定される。
A:市場機構に,社会的な規制を加える必要はない。
B:市場機構に,社会的な規制を加える必要がある。
ここで,仮にBの立場を取るとすれば,その正当性はいかに主張できるであろうか。具体的な 事例(Bの主張の論拠となる事例)を取り上げつつ,15行程度で立論しなさい。(H27②)




以上の3類型が存在し、それぞれについての解答をしていくこととなります。


今回述べたいのは、この3類型に共通する解答方針があることです。
それは、いうまでもありませんが、この試験で求められる思考力・分析力・表現力を示してやることです。
では、具体的にはどのような方針を取ればよいのでしょうか。
先ほど示したヒアリングをもう少し読み解くと、この能力について次のような記述が存在します。

......法科大学院においては一般教養に特化した科目はないが,法曹養成に特化した教育を行うことで,思考力・分析力・表現力といったものは大学卒業時点から更にかん養されている面がある.......
......思考力・分析力・表現力等も判定できなければいけない,法科大学院の教育も踏まえなければいけない......(有識者に対するヒアリング 抜粋)

これらの記述と、法科大学院が法曹を養成する施設であることをあわせて考えると、思考力・分析力・表現力が求められる行為が、法曹を養成するプロセスの中に組み込まれていることが考えられます。



私は、それは判例の射程を考えることだと考えました。
法律資格に向けた勉強に際して必ず行われる、ある文章の骨子を理解し、ある立場から文章を考えて記述する行為は、判例の射程を考え、特定の事案とそれが合致するかどうかを考えることにほかならない、と考えました。
もちろんそれは法科大学院で行われる学習の一側面に過ぎないであろうと推測しますが、後述の通りある程度は辻褄が合うことや、法律を学ぶ方には比較的伝わりやすい感覚だろうと考えています。
そこで、以降は以上の3類型を、課題文を判例を読むように読み、判例の射程を考えるように解いていくことについて書いていきたいと思います。


具体的には、判例を読む際には、具体的な事例・法律論とそれにより導かれる結論・それが妥当である理由づけの3つに着目することになると思います。
また、判例の射程を考えるときには、判例と実際の事例の異同に着目しながら、理由が妥当し、結論が正当かについて考えていくことになります。
設問の3類型について、判例と向き合う際に求められる能力の側面が登場します。



4.一般教養出題形式その①:課題文への言及

まず、課題文への言及が求められるパターンがあります。
一定の長さの課題文を読んで、課題文中に登場する概念やキーワードについての論述をする必要があります。
課題文は、司法試験委員会が用意した短いものであることが大半です(H28①・②、H26①・②)。
指定行数が多いわけではないほか、私見を問われていないことが多く、ある程度形式的にあてはめを行うことで答案が完成します。


判例を読む際との対応で考えると、結論が抜けた判旨に、適切な判旨を付与する作業であるといえます。
文言解釈を行う前提となる理由づけまで書いてあるので、結論を付与してやればよいのです。


例えば、H28①を解いてみましょう。
課題文はリンク先から読んでみてください(平成28年度 司法試験予備試験論文式試験 一般教養科目)。


設問は次の通りです。
一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには,何が求められるであろうか。学問に おける専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割に触れつつ,15行程度で論述しなさい。

「学問的知識」とは何かを、専門家集団の役割に触れつつ、記述する問題です。
判例でいえば、条文の文言解釈を行なっていることに対応します。
同様の作業は、判例を読む際には必ずやったことがあるはずです。
たとえば、最判昭和49年9月26日の次のような理由づけを読んだとします。
民法九六条一項、三項は、詐欺による意思表示をした者に対し、その意思表示の取消権を与えることによつて詐欺被害者の救済をはかるとともに、他方その取消の効果を「善意の第三者」との関係において制限することにより、当該意思表示の有効なことを信頼して新たに利害関係を有するに至つた者の地位を保護しようとする趣旨の規定である
このような判例の理由づけから、民法96条3項の「善意の第三者」の文言解釈を導くことは、受験生が慣れ親しんでいる行為だと思います。
なるほど、「善意」とは意思表示が有効でないことに対して必要で、「第三者」とは新たに利害関係を有するに至った者なのだな、という判例の規範定立を導くことができます。


課題文に言及する設問も、おおまかには同様のことです。
たとえば先述の「学問的知識」については、本文中に「知識」については直接記述があることから、「学問的」と「知識」についてそれぞれ文言解釈を施していくことになるでしょう。
(なお、本問については、設問の「学問に おける専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割に触れつつ」という箇所から解き進めていくことも考えられます(参照 http://study.web5.jp/160821a.htm)。こちらもいわゆる現代文的解法で、慣れ親しんでいる方も多そうです。)


以下、簡単に解説を付しますが、自分で解いてみたい方は先に次の類型に飛ぶといいでしょう。








まず、「知識」とは、問題文によると、
「知識」と「情報」を概念的に区分することに固有の関心=利害(interest)を持つ人々も,いまだに存在する。
という記述から、固有の関心・利害を持つ人により「情報」から概念的に区分されたもの、であることが分かります。


そこで、「知識」のうち、「学問的知識」とはどのようなものなのかを考えていくことになります。
文章中で、「学問的知識」について述べているのは次の一文です。
すなわち研究者は,「斯界の権威」として学問的知識の生産や流通にコミットし続けている。
「学問的知識」は、研究者によって生産・流通されていることがわかります。
つまり、「学問的知識」における、固有の関心・利害を持つ人ないし「情報」から概念的に区分する人は研究者であることがわかります。


ここまでで、「学問的知識」とは、固有の関心・利害を持つ研究者により「情報」から概念的に区分されたものである、という大きな枠組みが見えます。
ただ、このままでは設問の要求である、学問における専門家集団の役割を明らかにしたとは言えません。


そこで、専門家に関する議論を追っていくと、
......専門家が一定の条件下で知識を独占的に運用し続けている......
......ここの学問分野において研究者が果たしている役割も、基本的にこれと同じである......
とあります。
あとは、先ほどの大きな枠組みの「専門家」に、この記述を代入してやれば解答の枠組みが完成します。
ごくごく単純に見えますが、再現答案を見るとこのような話の大枠を掴めていない答案が多数あります。
課題文から大きく離れた持論を書いているものや、要求されていないにもかかわらず過大な分量を具体例の提示に割いているものです。


もしここに書いたような文章の読解をしていなかったという自覚があれば、判旨を読むときのように、結論に対応する理由づけを順繰りに読んでいくという読み方をするだけで、いくぶんか改善すると思われるため、参考にしてみてください。
これくらいならできる、と思った方はある意味健全で、本番で筆が走らないように気をつければ大きくつけ離されることはないのではないかと思います。


5.一般教養出題形式その②:要約

次に、課題文の要約を求められる場合があります。
要約が要求される場合には、課題文に言及する場合と異なり単純で、課題文自体に結論と理由づけが(明示されているといえるかまではさておき)全て書いてあります。


そこで、課題文の結論を丁寧に探り、その結論を支える理由づけにはどのようなものを挙げられているかを抽出し、筆者の意図に沿うように解答してやれば一定の解答が完成します。


課題文が公表されている年度がないため、考え方の例は割愛します。

6.一般教養出題形式その③:意見論述

最後に、意見論述を求められる場合があります。
設問1で課題文の結論や理由を抽出する要約問題を解いたのち、少し事例を変えた場合にどう考えるかの私見を述べるものです。


これは、自ら抽出した判例の結論と理由づけをもとに、判例の射程が及ぶかを考えるものにほかなりません。
同様に考えていくことになります。
具体的には、設問1で理由Aから結論αが導かれると解答した場合、設問2で条件を変えたとしたら、
・理由Aが同様に当てはまるので、結論αである。
・理由Aが当てはまらないので、結論αではない。
・理由Aが当てはまるが、特段の事情Bから、結論αではない。
・理由Aが当てはまらないが、特段の事情Bから、結論αである。
の大きく4パターンの解答の方針がありえることになります。
理由づけが当てはまるかどうか、結論の修正が必要かどうかを説得力のある形で書けるかどうかで差がつくことになるのでしょう。
結論がどちらになるのでもよいことはもちろん、思考力・分析力・表現力を問うという試験の目的からすれば、理由に挙げる具体例がマニアックな知識であることも特に求められないでしょう。



ためしに、令和元年の問題を例に考えてみましょう。
課題文が公開されていないため、代わりに私の設問1での解答の骨子を読んだ上で、設問2を考えてみてください。

理由①:法律のようないかなる拘束もない状態では、弱い者がより強力な者により抑圧され、強力な者も団結した弱い者による復讐を受けうる、万事闘争の状態になる。そこで、万人がこのような紛争を仲裁する権力を希望する。
→仲裁権力としての政府が求められる。
理由②:社会のメカニズムに、すべての要素を均衡状態に保つ自己調整原理が存在する。
→社会のメカニズムに対する政府の関与は求められていない。
理由③:人為的干渉である立法等は、物事の自然なバランスを破壊し、むしろ多くの害悪を生じさせる。
→政府の役割は限定されるべきである。
結論:人々が政府を求めるのは、仲裁権力として正義の執行を行うことに限られる。そのため、政府の任務はそれに限られるべきである。

これに対する設問2の問題文は、以下の通りです。

 本文を著者が記したのは1840年代前半である。当時,イギリスにおいては義務教育も国営鉄道も存在せず,教育や鉄道事業は政府以外の機関・団体によって行われていた。 本文における著者の主張は,今日の社会においてどのように評価し得るか,25行程度で論じなさい。 なお,論述に当たっては,以下のテーマのうち一つを取り上げ,それに対する政府の関与の在 り方について,自らの見解を提示すること。
① 商業の規制
② 教育
③ 道路・鉄道の建設
(令和元年 司法試験予備試験 論文式試験 一般教養科目 設問2)

いずれかのテーマについて、前述の理由があてはまるかどうか、結論はどのようにすべきかを、考えてみてください。
なお、私は①をテーマに選びました。





























いかがでしょうか。
前述の通り、結論のいかんはどのようになってもよいと思うので、考えてみた骨子と私の考えてみたものを比較しながら読んでみてください。
(なお、どのように考えてみたか興味があるので、コメントやメッセージ等で教えてくださる方がいらっしゃれば光栄です。)


私は、まず前述の理由について、それぞれ次のように考えました。

理由①:法律のようないかなる拘束もない状態では、弱い者がより強力な者により抑圧され、強力な者も団結した弱い者による復讐を受けうる、万事闘争の状態になる。そこで、万人がこのような紛争を仲裁する権力を希望する。
→仲裁権力としての政府が求められる。

➡︎現代においては妥当するとは限らない。

財政面・影響力の点で、国家にも比肩するようなGoogleのような巨大企業が登場した現代においては、強力な者が弱い者による復讐を恐れるとの構造があるとは限らない。それどころか、巨大企業が革新的な技術やサービスを考案した企業を傘下にするなど、強者がその階級を固定・助長するような働きをすることすらある。

そのため、政府が求められる前提となる、万事闘争状態は常に生じるとはいえない。



理由②:社会のメカニズムに、すべての要素を均衡状態に保つ自己調整原理が存在する。
→社会のメカニズムに対する政府の関与は求められていない。
➡︎現代においては妥当しない。

自己調整原理がうまく機能しない場面がある。各人の自由な経済活動に任せておくことによる需要と供給のバランスが決定されるというアダムスミスの「神の見えざる手」は、カルテル等により潜脱されてきた。また、先述のような圧倒的な強者による階級の固定・助長が、自然に解消されるとは考え難く、その論拠に乏しい。

そのため、商業活動においては、社会のメカニズムに対する政府の関与が求められている。

理由③:人為的干渉である立法等は、物事の自然なバランスを破壊し、むしろ多くの害悪を生じさせる。
→政府の役割は限定されるべきである。
➡︎現代においても(少なくとも一部)妥当する。

人為的干渉によりバランスが適切に調整されるとは限らない。社会経済政策が常に成功してきたわけではない。

そのため、政府の役割が無制限でよいとはいえない。




以上の通り、現代の商業規制の場面でも、理由①・②が妥当せず、理由③は妥当すると考えました。
そこで、考えられる主な解答は、

・理由①・②が当てはまらないので、同様の結論ではない。
・理由①・②が当てはまらないが、理由③が妥当し、それが極めて重要であるという特段の事情から、同様の結論である。

のいずれかです。
理由③が妥当することをいかに評価するかによって結論が変わります。



私は、商業の規制に関する立法による害悪は、完全に避け得なくとも、裁判所による違憲審査のような三権分立のような仕組みにより是正可能であることから、重視すべきでないと考えました。
そこで、理由①・②にまつわる事情の変動に伴う政府の後見的な介入が必要であるとして、現代においては筆者の主張には賛成できないと結論づけました。





このように、設問1で抽出した理由に対する妥当性を逐一検討して、合理的な結論を導けば、十分に評価されるものです。
たとえば、訴訟上の相殺に対する再相殺が許されないのに、訴訟外の相殺に対する裁判上の再相殺が許容されるのは、前者の理由が妥当せず、その結論で妥当だからです。
要約さえ終われば、あとは順繰りに考えていくことで一定の結論を出すことができます。

7.おわりに

長くなってしまいました。
以上の通りに設問の類型ごとに、判例の射程を考えるように解いていくことができることが伝わったでしょう。


全文を読んで、「大したことがないなあ」と思われた方は、おそらくは現代文や小論文の素養があった方で、望ましいことだと思います。
もしくは、法律を学習する上で求められる力を適切に伸ばすことができた方で、それもまた望ましいことでしょう。
以上に述べたような力が求められていることを忘れずに問題に向き合い、本番も足を引っ張らない点数を取ることを祈っています。


一方で、何か参考になったと感じる方は、このようなある種単純な指摘で改善を見込めるにもかかわらず、特に理由なく一般教養科目の対策を一切行なっていない者と比較して、幸運で、賢明です。
以降新たに多少の対策をするでもよし、以上の記事を読んで一定の理解をしたと感じて法律科目の対策に戻るのもよし。
いずれにしても一般教養科目に対する形のない不安が薄れたものとして、総合点数が向上することを願っています。


このように「対策の必要がない」とされている一般教養科目についても、一定の対策は存在します。
短答の一般教養についても触れているため、参照してみてください。
(記事はこちらから http://abc-sakana.com/archives/21774199.html)



新たに対策をするとすれば、市販の参考書を読むか、予備校の講座を取ることになると思います。
市販の参考書としては、過去問の再現答案集であるぶんせき本か、形式は違えど法科大学院入試向けの小論文の参考書が有用だと考えます。


なお、今年度版のぶんせき本は4月下旬に発売予定のようです(2020年4月24日現在)。
http://blog.livedoor.jp/accstatsumi/archives/9598109.html

今年度版のぶんせき本はこちらから。




受講するとすれば、以下のような講座が存在しています。

辰已法律研究所の講座
https://tatsumi-ws.com/items/?code=19731W

同所のYouTube講座
https://www.youtube.com/watch?v=8mNtxAVz4PY




以上です。読んでくださりありがとうございました。





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