0.判例知識や学説にアクセスする

司法試験・予備試験の勉強をしていると、ある論点や知識について、判例や学説でどのように考えられているのかを確認したくなることがあるかと思います。
それは、短答にせよ論文にせよ、ある事例について条文を用いて解決することが求められていることに起因します。
条文の解釈や、それにまつわる概念の適用について、どのようなものが一般的に認められているか、逆にあまり説得力がないとされているのかを知る必要があります。
自己流の無理筋の条文解釈に基づく解答をしても、説得力がないと判断されてしまうためです。


このような問題に対処するために、一般に説得力があるとされる考え方を学ぶ必要があります。
その素材として有用なのが、判例や学説です。
これらを参照するために用いられるのが、判例集であり、基本書と呼ばれる教科書です。
今回は、司法試験・予備試験の学習をする際、これらとどのように向き合うべきかを考えてみようと思います。



前提として、既に日頃用いている教材(予備校教材や概説書、論証集等)があることを前提にしています。
それに加えて、判例集や基本書を用意すると、どのようないいことがあるか?という観点で考えています。






1.基本書の利用

「基本書」に明確な定義があるわけではありませんが、一般的には、ある学者がある法体系について網羅的に書いた本を指すことが多いように思います。


このような本は、特定の法分野に精通した学者が、一人または少数人で緻密に執筆していることから、内容が網羅的であり、かつ矛盾がない点に特徴があります。
一方で、法律系資格試験向けに書かれているわけではないため、予備校のテキストと比較すると、試験との関係でオーバースペックであったり、メリハリに欠けるように感じることがある点も特徴として挙げられるでしょう。
そういう意味で、試験との関係では、必要かはさておき十分な(ときに過剰な)情報量を有するのが基本書です。



日頃使っている学習教材に追加して、基本書を利用する意義はどのようなところにあるのでしょうか。
具体的な場面として、私が利用しているのは次のような場面です。
  • 予備校のテキストの記述のみでは、特定の概念があまり理解できない。そのため、より詳細な解説を読みたい。
  • 論文試験に向けて答案を作成したが、想定されていた考え方ではなかった。自分ではある程度妥当だと思うが、このような考え方が不適切なのかどうか知りたい。
  • 法改正前の過去問や演習書の問題を解いたが、解説が改正後に対応していない。現行法ではどう考えるのか。
いずれも、ある解決したい問題があって、その問題についての記載を参照する、という使い方になっていました。
これが、基本書についてよく言われる「辞書的に使う」ということの意味だと思います。



このような使い方は、試験に必要な知識を中心にまとめられている予備校のテキスト等では実現しえない場合があることから、基本書ならではのものといえそうです。
また、必要だと思う箇所のみを参照することから、情報量が試験対策との関係では過剰とも思えるという懸念も、問題になりにくいでしょう。



このように、基本書を利用することで、日頃の学習を進めるにあたっての懸念を解消しやすくなります。
そこで、よくつまずく科目については、基本書を購入しておくのが有用かもしれません。
たとえば以下のようなものです。





一方で、今のところで挙げたようなメリットは、身近にすぐに疑問を解消してくれる方がいる場合には、あまり響かないかもしれません。
予備校の個別指導を受けている場合や、ゼミに入っているような場合です。
そのような場合は、基本書を参照するような感覚でどんどん質問をしていくことができるので、そうでない人と比べると重要度は薄れるかもしれません。



では、最初から学習の中心となる教材として基本書を選ぶのはどうでしょうか。
私自身も、行政法についてはいわゆるサクハシ(著者名から取られています)を通読して学習したので、現実的で、有用であるものだと考えます。
予備試験論文の行政法でも、A評価を得ることができたのは、体系だったインプットができていたからであるように思います。




ただ、先に述べたように、あくまで法律試験との兼ね合いでは、情報過多であることが多いと思います。
そのため、最初に読むときにはさっさと読み飛ばしていってしまう、のような工夫をしないと、消化不良になってしまうように思います。
そこで、通読をする等の学習の中心の教材として基本書を用いるのは、少なくとも初学者にとっては、困難が少なくないように思います。
むしろ、ある程度学習が進んでからだと、試験との関係で必要な情報のメリハリがつくので、学ぶことが多いように思います。
私も予備試験合格後、司法試験に向けて憲法の基本書を買い足すなどして、学び直すようにしています。





このように、基本書を用いることによる便益は大きいと考える一方、向き合い方を気をつけないと試験対策の方向性を見失ってしまう可能性もあるでしょう。


この点を象徴する出来事として私が覚えているのは、居酒屋で司法試験で五振(受験回数制限内に合格せず、受験資格を失うこと)した方に話しかけられたときのことです。
その方は、私が司法試験受験生であることを知ると、多くの基本書の記載について記憶していて、特定の箇所についての基本書間の説明の仕方の違いについて語ってくださいました。
基本書は、その呼ばれ方に反してきわめて詳細に様々な内容を記載しており、それらの記載に魅入られてしまうことはたしかです。
しかし、何かの話の拍子に民法96条3項の「第三者」の意義についての話題になったとき、その方が判例の定義を覚えていないことが分かりました。
これは受験生なら誰でも完全に暗記している定義で、暗記できていないことなどありえません。
彼は完全に暗記の優先順位を見誤っており、試験対策ではなく趣味として法律に向き合っていたのです。


このようなあり方が間違いであるとは思いませんが、少なくとも試験対策の上では合格と近いとはいえないように思います。
合格のために何が必要であるのかを見失わないようにしたいものです。


2.判例集(判例百選)の利用

試験対策に必要な最低限の判例知識については、予備校テキストに記載が全くないことは少ないように思います。
特に、試験でも書くことになる判例の結論や理由づけについては、記載がなくて困ることはほとんどないでしょう。
そのため、判例集をわざわざ購入することなく試験に合格していく方も、身の回りには多くいます。



判例の結論や理由づけ以外で参照したくなることがあるとすれば、判例の具体的な事案や、判例について学者の先生方がどのように考えているかを知りたい場合でしょうか。
このような内容については、予備校テキスト等には紙面の関係であまり書かれていないこともあります。
たとえば憲法については、それぞれの判例相互間の関係がわからなければ、特定の事案においてどのような判例の論理を引っ張ってくればよいのか分かりづらいこともあります。
(なお、こと憲法については憲法判例間の関係について記載された憲法判例の射程というきわめて優れた参考書があるので、申し添えておきます。)


このような内容について参照したいときには、判例集が便利です。
いずれの判例についても、事案の概要や学者や実務家による解説が付されているためです。
とりわけ、判例百選については、受験生を含む学部生や法科大学院生の学習に広く使われていることから、学習範囲の基準となっているものといえるでしょう。
その意味で、判例集を用意しておく意味はあるように思います。
私も、判例百選についてはPDF化して、iPad上で用いている論証集に貼り付けて用いていました。
(参照: 司法試験・予備試験とiPad活用術)


なお、大学生や法科大学院生の場合は、大学が提携しているサービスから判例データベースにアクセスできる場合もあるでしょう。
東大では、学外からでも利用できるデータベース上にWestlaw Japanというサイトがあり、それを用いることができました。
(参照: https://gateway2.itc.u-tokyo.ac.jp/dana-na/auth/url_default/welcome.cgi ログイン後データベース一覧から探してみてください)
このようなサイトを積極的に利用することも考えられるでしょう。




3.おわりに

以上の通り、具体的に必要となった知識があるときに、参照するものとして優れているのが、基本書であり判例集であると考えています。
必要に応じて参照して(逆に必要性が薄いときに過剰に参照しないで)、学ぶ上での疑問をなくせるようにするのが良いのでしょう。


以上です。読んでくださりありがとうございました。


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