0.目標を達成した後は
ありがたいことに、現代は情報の発信が異様に簡単な時代です。SNSを少し覗けば、自分が設定している目標をすでに達成した先輩方が、たくさんの情報を発信しています。
昔なら考えづらかったことでしょうから、これはかなり恵まれたことのように思います。
一方で、誰でも簡単に発信ができるということは、今まで情報発信をしていなかった属性の人が、今まで発していなかったような内容も含めて発信をするということです。
良くも悪くも、溢れんばかりの情報が提供されるのです。
このような時代に、どのようにこれらの情報と向き合えばよいのでしょうか。
私も、予備試験に合格したことを機に積極的に情報を発信するようになりました。
また、来年初めには、司法試験合格者または不合格者になります。
目標を既に達成した人の発信が、どのような意味を持つかは、そこそこに発信をしている立場からも、無関係なものではありません。
そこで、今回は目標を既に達成した方のアドバイスと、どのように向き合うべきかを考えました。
(2020/9/5追記)
一晩で2,000人近い方のアクセスがあり、驚きました。読んでくださりありがとうございました。
内容の妥当性が不明な情報が、合理的に吟味・選択可能な量に比して過剰に発信されているため、受け手に向け、そのような情報との向き合い方についての私見を書いたものです。特定の発信者や発信行為一般を貶める趣旨ではありませんし、そのような意図での引用等は不本意である旨付記しておきます。
1.再現性があるとは限らない
まず私の立場を明らかにしておくと、私はそのようなアドバイスに従うことにはかなり慎重になるべきだと考えています。(いろいろ偉そうに発信しておきながら、、、と思われるかもしれませんが、一応の答えをのちにまとめています。)
その第一の根拠は、往々にしてそのアドバイスに再現性があるかどうかが不明であることです。
具体的な内容として、その目標を達成した方がどの程度の確実さで目標をパスしたのかが不明であることと、どのような状況、属性の方が、どのような状態を前提にアドバイスがなされたかが不明であることが挙げられます。
これは当然私が書いているようなブログについても同様です。
まず、その目標を達成した方が、どの程度の確実さをもって目標をパスしたのかは常に不明です。
とりわけ、司法試験や予備試験のような、通常1回しか合格しない試験では、問題になりやすいところです。
実際には目標達成との関係でほとんど意味のない手法を取りながら、偶然に成功したかもしれません。
一方で、革新的な手法であり、きわめて再現度の高い手法を取っているかもしれません。
それぞれにつき目標達成と因果関係があるとの一応の理屈を与えることはできても、この二つを区別するのは現実にはかなり困難です。
そのため、安易にアドバイスを聞き入れることは、知らぬ間に泥舟に乗っていることになりうるのです。
また、仮に一定の条件下で有効なアドバイスがなされていたとしても、それが自分に妥当するものかどうかは不明瞭です。
目標達成と因果関係があるかどうかすらわからないのに、特定のアドバイスがどのような条件下でなら有効なのかを把握できることはそう多くないでしょう。
すると、必ずしも自分にとって有効ではないアドバイスを盲信することで、思ったような効果を得られないことがありえます。
自分の頭で考えていれば、もしかすると一定の解決策が導けていたかもしれないのに、です。
このように、どのアドバイスに再現性があり、従うべきかを選択するのは、決して簡単ではないことが挙げられます。
2.無責任なものも含まれる
次の根拠としては、そのようなアドバイスは必ずしも後続の挑戦者のためになされておらず、無責任なものが含まれうるということが挙げられます。少し恥ずかしながら申し上げると、人にアドバイスをするというのは、人によるかもしれませんが、かなり気持ちがいい行為です。
助言を求める方が自分に一定の権威を感じ、自分の言葉の通りに動く。
日頃から人に影響を与える機会に恵まれていない人にとっては特に、こんなに面白いこともないでしょう。
アドバイスをする行為は、挑戦者の一助になることを願ってする行為から、自分のためにする行為になってしまう危険を常にはらみます。
発言者がきもちよくなるための発言は、その目的から、必ずしも後続の方のために有益なものとは限らず、注目を集めやすいもの(いわゆる炎上商法的な発言)や、信じる側が信じたくなるような言説(簡単に痩せられるといった甘言)に偏る可能性があります。
このような発言に従うことが、自分の身になるかどうかはかなり怪しいところです。
せめて発言者がそれらの発言に責任を持ってくれれば、多少マシなこともあります。
例えば、その内容が明らかに支離滅裂であれば、継続して金銭を得られない可能性がある月額制の講義を考えてみるとよいでしょう。
(もっとも、一定の会員であることに特権意識を持たせ、継続的な契約を誘引するようなモデルもあるでしょう。そのような場合には、内容の正確性が担保されるとは言いがたいでしょうし、金銭が絡めば大丈夫という趣旨ではありません)
また、発言の真実性を担保するための裏付けが多く用意されているような場合にも、その内容を信じてよい可能性が高まるかもしれません。
このように、アドバイスの形式であるからといって、後続の方のためであるかどうかは不明です。
無責任なそれに惑わされないよう注意が必要です。
3.巨人の肩の上に立つ
かといって、ありとあらゆるアドバイスを無視して、我流で突き進むことが賢いとも個人的には思いません。自分が時間をかけて考えた様々なことは、多くの場合先人が既に考えており、その結論の当否はさておき、同じ思考過程を経るとすれば、端的に時間を無駄にすることになります。
時間の制約が厳しい中で、時間の短縮をすることができるならば、一定の利益が得られることになります。
よく言われる表現として、巨人の肩の上に立つというものがあります。

(学術用語の検索サービスであるGoogle Scholarのトップページにも同じ言葉が書かれています。先人たちの功績を積み上げてきたアカデミアの態度を示すようで、含蓄があるなあと感じます)
巨人の肩の上に立てば、巨人の見ている世界が見えます。
手っ取り早く高い視座から物事を見たいと思うときに、先人の知見を参考にするのは、前述のような弊害を考えても、なお意義のあるものでしょう。
4.成功者のアドバイスとどう向き合うか
そこで、私は、成功者のアドバイスを参考にするときは、次のようなことを気にしています。ここまで読んでくださった方なら、もうここから先の結論に従う必要などないと感じていらっしゃるでしょうが、書いておきます。
◎結論のみが与えられているアドバイスは無視する。
どのような思考過程を経たのか不明で、その導出プロセスを短縮するという利益も得られない。
その内容が妥当なものか検証しようがないし、その根拠を提示してくれている多少信頼できそうなアドバイスもいくらでも存在する。
◎素人のアドバイスは読み物として読む意識を持つ。
他の人に特定の方法論を語ることを業としない人のアドバイスは、その話自体が面白いことはあっても、アドバイスとして洗練されていないこともしばしばである。
素人は、往々にして放言したままで、その助言に従った人のその後に責任を取ってくれない。
◎成功者がわざわざ語らないが、多くの成功者に共通する事項を探す。
目的を達成した理由としてわざわざ語らないような内容は、自己顕示欲のようなもののために語られたものではないため、その内容が歪められた可能性は相対的に低そう。
また、多くの成功者に共通する事項は、もしかすると成功するのに必要な要素かもしれない。
このように、アドバイスの持つ一般的な危険性を理解した上で、自分なりの基準を立てて向き合ってみると良いのでしょう。
今後自分が何かを発信するときに、より批判的な目で読まれるかもしれないことに今更ながら気がつきました。
今後とも厳しくもあたたかい目で眺めてくださると幸いです。

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コメント
コメント一覧 (14)
ABC
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ABC
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←狙い撃ち以外の何ものでもない
ABC
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ABC
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踏み抜いてはいけないどぶ板を見つけるために巨人の肩の上に乗るという意識でいるといいかもしれないですね。
ABC
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ABC
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ABC
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ABC
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ご指摘のような無責任アドバイスは、本当に気を付けないといけないですよね。
悪気はない人が多いのでしょうけど。
ABC
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